道中の点検

 今日、1971年に旧ソヴィエト連邦で撮られたアレクセイ・ゲルマン監督『道中の点検』を見た。ソヴィエトでは制作当時公開禁止になり、15年後に公開になった。日本でもそう見る機会は多くないが、上映されるたびに足を運んでいる。原作は、監督の父である作家ユーリー・ゲルマンの小説「"祝新年"作戦」。心ならずもドイツ軍の捕虜となって、これに協力したソビエト軍の元伍長がパルチザンに投降し、何とか再び祖国の兵士として認められたいと死闘する物語。
 冒頭、農夫が掘り起こしたジャガイモを、ドイツ兵が油をかけて駄目にしている。パルチザンを恐れ、民衆の全ての力を奪おうとしている、というような老婆のモノローグが重なる。この時、農夫の顔が真正面から捉えられる。抵抗する力なぞとうにない、皺だけが刻まれた、空虚ですさみきった農夫の顔が、ただじっと捉えられるカットに凍りつくような想いがした。
 主人公の男、ラザレフもまた、敵と向かい合った時でもその静かな表情が動くことはない。死の危険にさらされればさらされるほど、冷静になるような感じさえ受ける。彼はいつもじっと考えているような顔をしていて、口は重く、ごまかすことも、媚びることもしない。
 だが、仲間に疑われたときに、その表情は確かに曇った。彼は捕虜となり、ドイツに協力したことを悔いて投降し、パルチザンに加わりたいと思っていた。だが仲間から疑われて、逮捕されてしまった。彼は首を吊って自殺をはかる。首を吊ったベルトが切れたためにそれは未遂に終わる。目が覚めた彼は、皆が見ている前で、泣いた。常に無口で無表情だった彼が大きな声をあげて泣くのである。それはあまりに悲痛な姿だった。
 映画自体がまた、無口で無表情な映画なのである。ごまかすことも、媚びることもない。厳しく、鋭い視線に私自身がさらされているようで、すっかり打ちのめされた日曜の夜でした。(e)