自分の中に毒を持て

岡本太郎の本を読みました。彼の人生は実存主義であり続けたのだと思います。

「あなたは優れた芸術家なのに、どうして民俗学をやったのですか」
僕は「人類の職業分化に反対だから」と答えた。

昔、”しあわせなら手を叩こう”という歌がはやったことがある。若い連中がよくその合唱して、”手を叩こう”ポンポンなんて、にこにこやっているのを見ると猛烈に腹が立って、ケトバシてやりたくなったもんだ。

ゴッホは、絵画の世界で自分を追及しぬいていって、しかしどうしようもないズレをついに克服できないことを悟り、絶望の果てに、自分の胸にピストルを撃ち込んでしまったのだ。
しかし、一発の弾が胸をさしつらぬいたとき、ゴッホは初めて、自分が追及していた芸術の本当の意味がわかった。

主義の違いから小学校を4回も転校し、パリへ渡りどんなに社会の制度で叩かれても守っていた自分の小さな炎を、ある日の映画館で

‥そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を吹き飛ばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃えあがり、あとは無。爆発するんだ。

自分を認めさせようとか、社会のなかでの自分の役割を計算せず、いま、この瞬間を全存在で爆発するという岡本太郎の生き方には強烈に憧れるものがあります。
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