お盆が来ると

朝暗いうちから、提灯にお墓から明かり灯して、仏壇のロウソクにご先祖様をお迎えする、仏壇の周りには提灯を飾り、仏壇は笹の枝でぐるっと飾り、ほうずき、長いインゲン、小さな青い夏リンゴ、小さいかぼち、サツマイモ、そうめんなど、糸に結んで笹に下げます。ナスで馬を作って、ナスやらきゅうり、芋などさいの目に切り、ハスの葉、又はサトイモのはに包んでなすの馬に背負わせます。仏壇飾りとなす馬を川に流して盆送りします。今は川に流すことは禁じられています。「盆や盆とてただ三日、いらぬ彼岸が七日あるわい」と言うそうですが、どんな意味かな、色々にとれます。

そして、ニュウギニアで戦死したおじさんを思い出します。
母の言うには、体が良くて甲種合格だったそうです。明るくて小唄がうまく小唄のサッチャンと呼ばれて、野球も甲子園まで行ったそうです。南方からのはがきには、「こちらには美しい花や見たことも無い色鮮やかな鳥や蝶がいます。」そして姉である母に「子供たちは心の大きな人に育てる様に」とのはがきが最後でした。戦地に食料が届かなくなり、残った僅かな食物は、自分は待っている妻や子がいない、君たちは待っている人がいる。」と分け与えたそうです。戦後まもなく帰国した部隊の人が、遠くから最後のときを語りにきてくれました。餓死だったそうです。土を掘って埋めてくれたそうです。それから何年かして戦死の紙とお金が国からきました。そのお金でお墓を作り、ニュウギニアにて戦死と刻まれました。逢って見たかった叔父さんです。

「私も散歩してもらいたかったわ」

(k)