ポストモダンを生きる

歴史の授業を受けていてよく思っていたのは20世紀になると政治も芸術も話題がどんどん拡散していくということです。これはこの現在というものが終わってからでしかわからないということもあるのかもしれません。しかし、もう一つの要因として現代がポストモダン状況であるということも絡んでくるらしいです。

ただ、現在はもはや21世紀であり、20世紀の知を総括するすることができる時代になったともいえます。歴史が終わるという言葉はヘーゲル由来のものですが、歴史の終わりを語ること自体は近代の範疇であるので、総括という意味では20世紀はポストモダン状況となっていたのかが問われる事になるのだと思います。

ポストモダンの条件としてはリオタールによれば大きな物語の喪失ということになりますが、実際に大きな物語がなくなったのかといえば必ずしもそうではないような気もします。例えば、環境問題などは現在でも語られる大きな物語ではないでしょうか。

さて、20世紀がポストモダン状況にあったとして、それが今でも続いているとするなら、そうした状況において哲学は何を語れるでしょうか。

それはいかに近代のヒューマニズムに基づく哲学から離れてポストモダン状況に即した「アンチ・ヒューマニズム」の哲学を作るかにかかっているのかもしれません。

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